職人としてのこだわり |
職人減少の波
他のページでも書きましたが、私共のような物作りを生業とする職人の数は、現代の日本では減る一方です。
なかには、機械化の進展によって、コスト的に引き合わなくなった業種もあるでしょうが、職人減少の波は、本来薄利多売に馴染まない業種(私共の身近なところでは、仏壇仏具製造業)にもまた、押し寄せてきているのです。 仏壇仏具といったものは、いいものを長く、それこそ孫子(まごこ)の代まで使うものであったはずが、いまや日用雑貨品と同じく、なるべく安いものを買って、悪くなったらまた買い換えればいいと言う風潮が蔓延しております。
海外製品の流入
その主な原因として、海外の安い労働力で作った廉価な仏具の流入ということが挙げられます。木魚についても、従来から台湾、そして最近では中国から、非常に安い製品が大量に輸入されるようになっています。
それらの木魚が、安いからといって、一概に悪い物ばかりだと言うつもりはありません。なかには、腕の立つ木彫り職人の手による製品だってあるかもしれません。しかしながら、そこには大きな問題があります。
大量生産品の問題点
それは、木魚作りという、本来職人が担ってきた仕事に、大量生産の原則が持ち込まれることです。大量に作った商品を売るためには、安くないといけません。安く作るためには、一つ一つの木魚を早く作らなければなりません。早く作るためには、時間のかかる行程(木材の自然乾燥など)を、極力省く必要があります。
このような原則に基づいて作られた木魚が、実際に使われる人の手元に渡ってから、日を経ずして音が鳴らなくなってしまったり、ひびが入ってしまったり、ひどい場合には割れてしまったりするのは、想像に難くありません。
職人としてのこだわり
私共は、良しにつけ悪しきにつけ、一介の職人です。設備投資をして省力化を図り、大量生産に乗り出すなどということはできません。また、そのようなことをやる意志もありません。
私共の願うことは、従来通りの手法で、こつこつ精魂込めて作った木魚を、末永く愛用していただきたいということにつきます。何代にも渡っての使用に耐えうる製品を作っていると自負しているからこそ、すり減って穴が開くまでお使いいただきたいと思うのです。
そして何よりも、私共が木魚作りに取り組む地道な姿勢を、お使いいただく皆さんに知って欲しいのです。私共の木魚の、大量生産品にない愚直な生真面目さをおわかりいただけたら、職人としてこんなにうれしいことはありません。